3月8日(土)、南山中学校の卒業式が5階講堂で行われました。
平成25年度第62回長崎南山中学校卒業証書授与式 式辞
「誰かのために…」
春の到来を思わせる柔らかい日差しが嬉しい弥生3月。今年もまた見晴らしの良い5階講堂で第62回長崎南山中学校卒業証書授与式を挙行できる恵みを心から神様に感謝し、共に卒業生の門出をお祝いししたいと思います。40名の卒業生の皆さん、そして保護者の皆様、ご卒業おめでとうございます。卒業生の皆さんはきっと、長いようであっという間であった3年間の様々な思い出をかみしめながら、万感の思いで式に臨んでいることでしょう。また、保護者の皆様におかれましては、この3年間で身も心も大きく成長したご子息の姿を感慨無量の思いで見守っておられることと存じます。思えば、卒業生の皆さんが長崎南山中学校に入学した頃は、東日本大震災の勃発から1ヶ月も経っていない時期でした。幸いにもここ長崎では被害はありませんでしたが、毎日のようにテレビや新聞で報道される震災の被害状況に心の痛む日が続きました。本来、入学式は喜びの日なのですが、あまりにも大きな被害に、皆さんもきっと複雑な気持ちで入学式を迎えたのではないでしょうか。あれから3年、テレビや新聞が震災関連の報道をしなかった日は、1日たりともなかったように思います。未だに復興は思うように進まず、故郷を離れた生活を余儀なくされている人がたくさんいることは、皆さんもご存じの通りです。きっと皆さんも、心のどこかで震災のことを気にかけながら、中学校生活を過ごしてきたのではないでしょうか。この震災を受けて、国内外の多くの団体が支援のために立ちあがりました。互いに助け合おうとする人の絆の強さが、たくさんの感動的なドラマを生み出しました。「たいへんな苦しみや悲しみであっても、それを乗り越えていくことができる」という希望を見出したのは、私だけではなかったと思います。今や国民的なアイドルグループとなったAKB48も、震災が起こってから3日後、2011年3月14日に早くも義援金受付の銀行口座を開設し、震災復興支援事業を立ち上げました。いわゆる「誰かのために」プロジェクトと呼ばれている事業です。以来、今日に至るまで、コンサートや握手会でも募金活動を行なうとともに、精力的に被災地を巡回訪問し、歌と踊りで住民を励ましているようです。言うまでもなく、このプロジェクトの名前は、レパートリーの1つである「誰かのために」という曲(作詞:秋元康 作曲:井上ヨシマサ)から来ています。この曲の歌詞の中に次のような件があります。一人ぼっちじゃ生きて行けない。誰かがいるから私がいるの。
誰かのために人は生きてる。私に何ができるのでしょう?
誰かのために人は生まれて、しあわせになるんだ。
被災地訪問を始める当初、AKB48のメンバーの間では、「苦しみや悲しみに打ちひしがれている人たちに対して、お祭り騒ぎのような歌を歌うのは失礼なことではないのか」という戸惑いがあったようです。しかし、現場に出向いてみて、たくさんの人たちが自分たちの歌を待ってくれていることが分かって、「歌や踊りで被災地の人たちを励ますことが自分たちの務めである」ということに気づいたようです。「誰かのために」は震災が起こる数年前から既に歌われている曲ですが、おそらくメンバーたちは、震災を通して、この歌に託されているメッセージをより深く理解することができたのだろうと思います。翻って、昨年から「長崎南山リーダーシップ教育」をスタートさせている私たちにとっても、「誰かのために」は自分自身の生き方を問いかけるキーワードになるはずです。勉強にしてもスポーツにしても何事においても、それが直接的にせよ間接的にせよ、「誰かのために」、「誰かのしあわせのために」なされるものだという意識を持つことが大切なのではないでしょうか。
この1年間の努力目標は、まさに「リーダーシップ教育」にリンクしたものでした。
セルフ・理想の自分へ グローバル・視野を広げ、サーバント・役立つ人に折に触れてお話してきたように、この努力目標は「高い人格・広い教養・強い責任感」という3つの校訓をより分かりやすい形で示したものです。そしてこの目標は、南山の中だけで収まるものではありません。生きている限り、いつでもどこでも欠かすことのできない目標です。それはまさに、私を必要としている「誰か」がいるからであり、「誰かのために生まれた私」が「しあわせに」ならなくてはいけないからです。
卒業生の皆さんは、今日の卒業式をもって9年にわたる義務教育期間を終えることになります。4月から始まる高校生活では、勉強やスポーツに対してこれまで以上に自主的な取組が求められてきます。勉強の内容も高度になるし、運動クラブの練習も中学とは比べものにならないくらい厳しいものになっていきます。しかし、努力目標に謳われているように自分を高めようという気持ちを持ち、誰かのために生きることによって自分のしあわせを見つけ出そうという意識があれば、どんな苦労にも耐えていくことができるし、苦労を乗り越えていく度に、自分の心が自信と喜びにあふれるはずです。「リーダーシップ教育」は、ゼロからのスタートではなく、これまで南山が実践してきたことを練り直したものです。ですから皆さんは、既に中学3年間で「リーダーシップ教育」に関することをたくさん学んできているはずです。「理想の自分へ・視野を広げ・役立つ人に」なるために、学校行事の中でいろいろな体験を積んできているはずです。この体験を自分の人生の中でいかに花咲かせ、自分の人生の意味を見出し、自分のしあわせを見出していくかが、これからの皆さんの課題です。皆さんは「一人ぼっち」ではありません。家族がいて先生がいて仲間がいます。そして、これからの人生の中で自分を必要とする「誰か」との出会いがたくさんあると思います。一つひとつの出会いを大切にし、自分自身が生きがいを持って取り組むことができる仕事、ライフワークにめぐり会ってください。最後になりましたが、これまでの3年間、大切なご子息を長崎南山中学校に預けていただいた保護者の皆様に心から感謝致します。私ども教職員も、この3年間ご子息と共に中学校生活を過ごしてきたことに、大きな喜びと誇りを感じております。この思いを忘れることなく、これからも南山が在校生にとっても卒業生にとってもますます誇れる学校となるよう、一層の努力を重ねてまいります。
今日の晴れの卒業式にあたり、ここにお集まりの皆様一人ひとりの上に神様からの祝福が豊かにありますように。皆様のご多幸を心からお祈りし、学校長の式辞と致します。
平成26年3月8日
長崎南山中学校 学校長 松本 勝男
感謝の言葉
桜の花が、まだかまだかと、春を待ちわびて、そのつぼみを膨らませています。それは、新たなスタートを切り、新生活への期待に胸を躍らせる私たちの心と同じです。
この南山中学校で過ごした三年間は、短いようで、本当にあっという間に過ぎ去りました。未だに南山に入ったばかりの三年前、中学生になることへの不安と戸惑い、そして期待を抱きつつ、対面式で新入生を代表して、挨拶をした自分の姿が、脳裏に浮かびます。慣れない環境の中、どうにかして早くなじもうと、努力を積み重ねた日々。部活動と勉強の両立をめざし、必死に努力した日々。 その中でも、私の心に残った一番の思い出は、体育祭です。私が一年生の時の体育祭では、先輩方の体育祭に対する熱意に少しでも応えようと、集団行動や、よさこいソーラン節の練習に必死に食らいつきました。初めての宿泊学習での体育祭練習は、さすがにきつかったです。しかしそれ以上に、楽しさが勝りました。
また、二年生の時の体育祭も忘れられません。それは、集中豪雨に見舞われたためです。一時は中止になるかと不安がよぎりましたが、がぜん、みんなのやる気が再び最高潮に達し、閉会式で高校生と、一緒になって校歌と讃歌を熱唱したことは、印象深い思い出です。 そして私たちが最高学年となった体育祭。ブロック長の深江周太と、橋本天馬を中心として、ただ勝負に勝つことが目的ではなく、みんなが団結して達成感を得られる、そんな体育祭を作ることを目標としました。そのため、下級生も含め、全員が最高の演技ができるよう、三年生一人一人が個別で指導したり、後輩の模範となる行進、踊りを目指しました。最初は全体的にまったくまとまりのなかった演技も、日々の練習を通して、納得できるものとなり、満足のいく本番となりました。一人では何もできないけれど、互いに協力し、足りないところは補い合うことに意味があると実感しました。皆が一丸となって作り上げた、この体育祭こそ、私たちの成長、私たちの友情を示してくれるものだと、今は思います。 その私たちの友情。 ただの仲良しの集まりではなく、毎日の生活において、一人でも欠けたら寂しいし、何か物足りない。それほど全員そろってホッとできる、私たちの居場所となりました。私は、毎朝家を出る時、「楽しんできてね。」と送り出してもらってきました。私にとってその言葉は、「自分だけ」が楽しければいいのではなく、「みんなで」楽しむことに意味がある。今はそんな仲間を得ることができたのだなと、改めてこの仲間に感謝の気持ちでいっぱいです。
そして、私たちが仲間として団結できるように、また、一人の人間として成長できるように、日々指導してくださった先生方の存在がありました。学習面におけるサポートはもちろん、間違っていることには、厳しく指導してくださいました。時に先生をがっかりさせたこともありましたが、いい時も、悪い時も、先生方の愛情に包まれ、人間関係を築いていき、自分を表に出すことができてきたと思います。
私たち四十名は今日、南山中学校を卒業します。私たちは今、何気ない中学校生活がいかに貴重なものであったかを痛感するとともに、当たり前だった日常が思い出になってしまうことが、名残惜しくてたまりません。特に、読書科の授業をはじめ、百人一首大会、合唱発表会など、私たちの代から始まったことがたくさんあります。私が入学した時から、このような行事が始まっていれば、さらに積極的に文化と触れ合う機会が得られ、その時間をもっと仲間と共有できただろうと、つくづく残念に思います。 在校生のみなさん、今後の南山中はあなたたちに託します。充実した学校生活になるかどうかは、自分たち次第です。仲間とともに多くの達成感を味わってください。そして、新たに入学する新入生のこと、これからも続いていく南山中学校を、ひっぱっていってください。最後に、私たちを十五年間、育ててくれた父、母、家族。行事などにも参加し、支えてくれた家族の存在はとても大きなものです。自分の身を犠牲にしてまで、家事はもちろん、日常の些細なことにも気を利かせて、私たちを支えてくれました。特に、私は何かあるたびに、いつも父、母に助けられました。私が英語弁論大会に出場するとき、何十回、何百回と私の英語につきあってくれました。そのつど、自分では気づかないところ、わからないことも指摘してくれました。「わからないことがあればすぐに言ってくれよ」「あなたの成長が、私にとっての一番の楽しみ」といつも言ってくれました。日常の何気ない両親の言葉がけが、これほど今の自分を支えてくれていたのだなと、今さらのように実感しています。 私たちは、まだ将来への扉を探す途中です。その扉を目指して、まだまだ未熟な私たちですが、再び次のスタートを切り、自分の道を進めるよう努力していきます。そのためには、視野を広げ、まず「知る」ことが大事だと学びました。自分の心で考え、自分の力で判断し、自分の言葉で相手と理解し合える関係を築くことを、大切にしたいと思います。そして、自分を支えてくれる、家族や仲間への感謝を忘れない人間でありたいと思います。 三年間、私たちを見守り、支えてくださった全ての方々に感謝します。本当に、ありがとうございました。
平成二十六年 三月八日
卒業生代表 大貝洋一郎