3月1日、高校の卒業式が行われ、224名が学舎を巣立ちました。

3月1日、高校の卒業式が行われ、224名が学舎を巣立ちました。


人間の尊厳のために

 

学校長 西 経一

 

 毎月の全校朝礼の話のときも、もちろん心をこめて準備し、心をこめて語りますが、これが卒業式ともなれば、こめられる心がまた格別なものとなることについては、在校生の生徒諸君もゆるしてくれるでしょう。こめられるだけの心をこめて話してみましょう。

 君たちは、運動会や競技大会で一等賞や優勝旗を勝ちとるために、生まれて来たのではありません。国立大学や有名私立大学に合格するために、人間としての生を享けたのでもありません。では何のために生まれて来たのかについては、すでに、君たちはお父さんの腕の中で、あるいはお母さんの胸の中で教えていただいています。

 君たちはおぼえていますか。何ひとつ自分の力ではすることのできない、無力な君に向かって語りかけていただいた言葉を。「よしよし、いい子。」そのとき、無力な赤ん坊にすぎない君は、お父さん母さんから「よし」あるいは「いい子」と言っていただく理由を何ひとつ差し出すことはできませんでした。君は、何の理由もなしに、「よし」と言っていただき、「いい子」だと認めていただいたのです。この何の理由もなしに、理由との交換なしに、無条件に「お前はいい子だ」と認め受け入れること、それを愛というのです。君たちは、ひとりの例外もなく、愛のうちに生まれ、愛のうちに育てていただいたのです。それは、君もまた愛のうちに生きよ、という生きた教えそのものなのです。

 卒業後、君たちがやがて生活するであろう世の中の基本的仕組みは、愛ではなく交換です。そこでは、君が、何の理由もなしに、無条件に、いい人と評価されることなど決してありません。たとえば、必要な資格を取り、業績を挙げ、売り上げを伸ばしてはじめて、いいやつだ、できるやつだといってもらえるのです。さらに交換するための基本的道具のことを、それを天秤と言いますが、思い浮かべてごらんなさい。右と左とを較べ比較して釣り合っているかどうかを測る道具です。釣り合っていてはじめて交換が成立します。だから、交換と比較、交換と比較競争とは同時に生まれ、その二つが世の中を支配する原理なのです。このことについては君たちもすでに経験済みのはずです。比較競争の末にこの長崎南山に入学しましたし、点数との交換あるいは運動能力の優劣で「できる人」「できない人」という評価を身に受けてきたわけですから。

 したがって、どんな理想論を語るとしても、この交換と比較計算の原理によって動いている世の中で生きていくための力を身に付ける必要があるのです。それでお父さんお母さん、また先生方も、「よしよし」ではなく「よしあし」のしつけ指導をなさり、学力が身に付くようにと指導援助してくださったのです。しかしながら、君たち、長崎南山の卒業生である君たちに決して忘れてもらいたくないことがあります。それは、たとえ世の中の基本的仕組みが交換と比較計算であるとしても、打算と計算、損得勘定だけでは人間は決して幸せにはなれないのだということです。それはまた、人生は、打算と損得によってではなく、たとえ報われることがなくても、無償で、ただで、無条件で差し出す相手、人格との出会いによってはじめて、人間としての心からの充実とよろこびと幸せを味わうことができるのだということです。

 自分自身の幸せを求めるとき、君は決して幸せにはなれません。自分以外の人の幸せを願い求めて生きるとき、君ははじめて幸せを味わうことができます。もう一度、お父さんお母さんのことを思い浮かべてごらんなさい。「よしよし、いい子」とその腕にその胸に抱いて語りかけておられるときの、その幸せそうな笑顔と頬笑みを思い浮かべてごらんなさい。無償で、ただで、何の理由もなく、無条件に、打算も損得もなく、御両親にとっては自分以外の者である君に、与えることが幸せそのものなのだということが、はっきりと思い知られることでありましょう。

 何の理由との交換も必要とせず、人間一人ひとりは無条件に尊く、愛されるに値する存在なのだということを「人間の尊厳」といいます。卒業する君たちが、わが長崎南山高校が教育目標として掲げる「人間の尊厳のために」生きる者となることを心から願い、君たちのこれからの歩みの上に神の祝福がゆたかにあることを祈って式辞といたします。

 

答辞

 観測史上、最高の積雪量を記録した冬も終わりを告げ、私たちの門出を後押しするかのように、教室から望む山々にも校内を吹き渡る風にも春の暖かさが感じられる今日という良き日に、このような式典を挙行していただき、誠にありがとうございます。

また、ご多忙の中ご臨席賜りました、御来賓の皆様、保護者の皆様、理事長先生、校長先生をはじめとする諸先生方、そして、在校生の皆さんにも重ねて卒業生一同、御礼申し上げます。本日、私たち卒業生はそれぞれの希望を胸に人生の一つの節目を迎えます。

 三年または六年前、少々大きめの真新しい制服に身を包み、期待に胸を膨らませつつ一抹の不安を抱えながら、南山学園の入学式を迎えたことがまるで、昨日のことのように、鮮明に思い出されます。屈強な男子生徒に囲まれ、黄色い声援に背中を押してもらうこともないという、これまでに経験したこともない、ある意味異常な状態は、衝撃的なものでした。それでも、そんな男子校『長崎南山』での「リーダーシップ教育」があったからこそ、学べたこと、築き上げられたことがあったはずだとしみじみ思います。礼儀作法や挨拶、思いやりの心などリーダーとしての心構えを学ぶことから始まり、責任感や自主性・主体性が養われました。また、多くの人と出会い、夢や目標を掲げることで互いに切磋琢磨しあい、一歩、また一歩と大人への階段を上ることが出来ました。

 卒業生の皆さん、思い出してみてください。朝から晩までの学習を通して、学力のみならず精神力も鍛え、継続し続けることで自分自身の成長を身をもって実感することができた学校生活。天候にも恵まれ、北海道の雪景色と壮大な大地にただただ圧倒された修学旅行。スキー場では「受験ですべらぬよう、二年生のうちに。」と思う存分滑ってきたこと。クラブ生がチーム一丸となり、「優勝」という栄光を目指し、最後の最後まで戦い続け感動のドラマが生まれた高総体。全校応援では、選手だけでなく、南山全体が一つになり、タオルを回し、声をからし、全校生全員で戦ったこと。勝利した時の歓喜しあう姿や周りの方々へ感謝する姿、負けてもなお、歯がゆさを噛みしめながらも、堂々と胸を張り整列する選手たちの姿は、私たち一人ひとりの心に印象深く残っています。そして何より、私たち三年生の心に深く刻み込まれているのは、やはり体育祭です。素晴らしかった前年の体育祭を超え、さらに生徒主体で行う南山の体育祭を成功させるとなると、容易なことではありませんでした。しかし、各ブロック一人ひとりの意識は体育祭が近づくにつれて成功への手応えを感じていました。そして、校長先生の祈りも通じ、天候にも恵まれた本番当日。各ブロックが、各学年が、学校全体が一つになり、成功をおさめ、達成感に満ちた皆の笑顔は一生忘れることのできない感動的なものとなりました。特に、私たち三年生が一体となって踊った「よさこい」は、今年の三年生を表すかのような団結力が表現できたと自負しています。ご来場された皆様にも男気あふれる南山の活気と感動を届けることができたはずです。これらの経験は、私たちの人生にとってかけがえのない1つのピースであることに疑いの余地はありません。

自分の欲求のために、子供を傷つけ、お金のために親を殺し、自分の主義主張を通すために、自分と考えが違う人に牙をむく。このようなことが毎日のように報道されます。

確かに、現実社会は「競争」と「比較」に満ちています。しかし、こんな時代だからこそ、「人間の尊厳・かけがえのない存在である一人一人」のことを考えなければなりません。

私たちは、南山高校で、 家庭の中で「無条件の愛」を経験してきました。これからは、自分の考えはしっかり持ちながらも、人との結びつきを大切にし、すべてのものが持つ、何かしらのすばらしさにも、目を向けることができる人間でありたいと思います。

63年間の南山の伝統と南山生としての誇りをいつまでも胸に、校章にもある「大きな翼」を広げ、今までの人生で一番といえるほどに大切なこの三年間を糧として、自ら選んだ新しい方向へ堂々と羽ばたいていきます。

 在校生の皆さん、今まで協力してくれてありがとう。皆さんの残りの学校生活が充実することを心から願っています。勉学はもちろんのこと、学校行事や友人、部活の仲間や先生方など、すべてのことが必ず皆さんを成長させてくれる一生ものの宝となるはずです。失ってから気づく大切さは、後悔しか生みません。つまり私が皆さんに伝えたいことは、一生懸命「今」を生き、そしてその「今」を大切にしてほしいという事です。私が今、この三年間を最高の思い出として、または貴重な経験、財産として思えるのは、その一瞬一瞬を一生懸命生きたからだと思います。日々の出来事が皆さんの明日を作り上げることを忘れないでください。そして、今を大切に、次は最高のものにできるように色々なことに挑戦してください。皆さんならできると信じています。

 私たち卒業生は、これからそれぞれの道に進んでいきますが、周りの方々への「感謝の気持ち」は決して忘れてはいけません。毎日朝早くから起き、愛情のこもった弁当を作ることから始まり、身の回りの世話や学校が終わるよりもずっと遅くまで汗水流して働いてくれた両親。両親は私たちの成功を誰よりも望み、私たちが思い悩んでいたときは背中をそっと押し、一番近くで応援してくれました。その想いに応えることがせめてもの恩返しになると考えていました。うまくいかないこともたくさんありましたが、今こうして健康な体で卒業式を迎えるこができるのは、他でもない両親のおかげです。いつもは恥ずかしくて言えませんが、18年間本当にありがとうございました。

また、いつも私たちの成長のために情熱を注ぎ、指導して下さった先生方、快適な学校生活を送れるよう陰ながら支えてくださった事務の方々や用務員さん、私たちは当たり前のように生活していましたが、この場をお借りして感謝の気持ちを伝えたいと思います。素晴らしい環境を作っていただき、本当にありがとうございました。そして、様々なことを学んだ時間を共有し、毎日を楽しく、時には良きライバルとして互いを高めあった友人たち。みんなと出会い、共に歩んだ日々は決して忘れません。本当にありがとう。そして、さようなら。

 最後になりますが、「人間の尊厳のために」の教育目標に基づき、「リーダーシップ教育」を体現しながら、長崎南山学園が更なる発展を遂げることと、ご臨席の皆様方のご健康を願い、卒業生の言葉といたします。

 

平成28年3月1日

卒業生代表 大場 亮

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